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『色彩論』でニュートンにケンカを売ったゲーテの話

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以前の記事に、カラーコーディネーター2級公式テキスト改訂版から「色彩科学の歴史的展開」「色彩調和」の項目が削除されたという話を書きました。

私の実感としては、3級の内容とかぶっていることによる同じところをループしている感や、「これ実務とはあんまり関係ないんでは」という妙ないらだちが解消され、精神衛生上よくなったという気がします。

ただ、削除された色彩科学の項目には、読み物的に面白い箇所がいくつかあったので、それらがなくなってしまったのは残念だなあと。

そのひとつが、ドイツの文豪ゲーテのエピソードです。

ゲーテは、40代から色彩研究を始め、1791年から93年の間に『色彩論稿』を、そして1810年には20年を費やした大作『色彩論』を刊行しました。その中でゲーテは、当時支持を得ていたニュートンの色彩理論を執拗なまでに批判しているとか。

いわく、生命の根源にかかわる光を、ニュートンのように単にプリズム操作で説明することは不遜であり、あんなものが支持されているのは「世界八番目の不思議」であると。かなりケンカを売ってますね。

もっとも、ニュートンは、ゲーテが生まれる前の1727年に亡くなっていて(ゲーテは1749年生まれ)、そのことを知る由もなかったのですが。

ゲーテの色彩理論は、アリストテレスら古代ギリシャの思想と通じていて、色は光と闇の間に生まれるとするところが、ニュートンとは異なるところです。

また、色の心理的・生理的作用を重視しており、色相による心理的作用や、目が快感をおぼえる色相環の両端の組み合わせ(いわゆる補色配色)などが論じられています。これらは、後の色彩調和論に大きな影響を与えたものでした。

ただ、当時の彼を支持したのは、画家のルンゲや哲学者のショーペンハウワーなど一部の友人や芸術家たちだけだったんですよね。自然科学者たちからは全く相手にされなかったようで、そのことがよほど悔しかったのでしょうか。

『色彩論』には「(ニュートンとその弟子たちが)私からも、より楽しかるべき数年間を奪い取ってしまった」という一節があるそうです。

「黄は赤青(紫)を、青は赤黄(橙)を、真紅は緑を呼び求める」なんて記述には、「そうそう!そうなんだよね!」と激しく同意してしまう何かがあるだけに、お気の毒です。

のちのち、色彩科学がもっと発展して、ゲーテの言ってることに科学的根拠があった、なんてことになれば、さぞかし報われることと思いますが、さて、どうでしょうか。

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