ほぼ日書評チャレンジ中

このページにはプロモーションが含まれています。

元朝日新聞『素粒子』ライターが教える表現力豊かな言葉選びのポイント3点

朝日新聞記者の200字文章術 ―極小コラム「素粒子」の技法 コミュニケーション
この記事は約5分で読めます。

「朝日新聞記者の200字文章術 ―極小コラム「素粒子」の技法」を読んでいます。元朝日新聞記者のコラムニスト真田正明さんの本です。

いや最近、あらためてブログを継続して書いていくことに決めたのですが、これが難しくてですね。

何も人をうならせるような気の利いた、洒落た文章を目指しているわけではないんですよ。ただ、陳腐な表現やバカだと思われるような言葉づかいは避けたいなあという思いがありまして。

そこでこのところ、文章読本とか文章術と名の付く本を片っ端から手にとっています。本書もその1冊です。

手にとったものの、最初は正直、本書はあまり参考にならないかなあと思っていました。というのは、朝日の「素粒子」は私にとって、気の利いた、洒落た文章の見本みたいなものだからです。引き込まれる展開、リズム、言葉の選択。どれをとってもレベルが高すぎる。

しかしパラパラとページをめくってみると、素人が文章を書くにあたっても、ヒントになりそうなアドバイスが詰まっていることがわかりました。

特に第四章「表現を豊かにする言葉の選び方」に即効性がありそうなので、一部引用させていただきながら内容を紹介します。

スポンサードリンク

「素粒子」の執筆者が使いたくない言葉、気になる言葉

筆者が「使いたくない」「使うまいと思っている」言葉は、大きく次のようにまとめられると思います。

  1. 昔から使われている常套句(決まり文句):前を向く、声を落とす、喜びを爆発させる など
  2. 新語や新しい使い方の言葉:~する私がいた、個人的には、なにげに、ほぼほぼ、やばい など

常套句を使ってはいけないのはなぜか

「常套句」とは、決まり文句、ありきたりな言い回しのことです。次のようなものが例として挙げられています。
 
前を向く
声を落とす
顔を曇らせる
唇をかむ
目を輝かせる
胸を張る
喜びを爆発させる

時間の制約がある新聞のニュース記事では、こうした決まりきった表現を使うのは致し方ありません。

しかし、こうした常套句は「使った瞬間に自分の観察眼と表現力を放棄したことに」なり、「せっかくの自分の文章を、ありきたりのものにおとしめ、つまらないものに」するので避けるべきだというのが、筆者の主張です。

確かに、エッセイや小説などにこうした表現を使うと、とたんに嘘くさい感じになりそうです。少なくとも、こなれた書き手だという印象を読み手に残すことはできないでしょう。

ただ、こうした「常套句」は、すでにある程度は練られた言い回しなんですよね。何も考えずに書くと「~と言った」「~という顔をした」となるところ、繰り返し表現を避けるために慣用句を使って言い換えているわけです。

それをさらに言い換えるにはどうすればいいか。「五感を総動員」する訓練が必要で、そこで得られた感覚を言葉にするには語彙を増やすことが必要だと筆者は言います。

「五感を総動員」する訓練する手法としては、ワインのソムリエである田崎真也さんの「湖トレーニング」が参考になるとのこと。「きれいな湖」というありきたりな言葉を使わずに、「視覚」「聴覚」「嗅覚」「触感」「味覚」をはたらかせて得たものを言葉にする訓練です。

湖がお題の場合は、景色を見て、鳥のさえずりや風の音を聞き、空気の匂いをかぎ、水や木々や土に触ってみて、そこでとれた魚や山菜を味わい、心にわきあがってきた何かを言葉にするということになります。

語彙を増やすには、結局はよい文章にたくさん触れるしかないようですね。

今の私はひとまず、「自分が今使っているのはありきたりの決まり文句ではないか?」ぐらいの問題意識を持てれば合格ということにしたいと思います。

「個人的には」「なにげに」を使うべきか

他に筆者が使わない、使いたくない言葉として挙げているのは、「~する私がいた」「(名前)的には」「個人的には」「なにげに」「ほぼほぼ」、そして素晴らしい・おいしい・最高という意味の「やばい」などです。

まとめて言いますと、比較的新しい日本語ということになりますか。軽薄だ、日本語の乱れだと頭にくる人がいそうな言葉づかいです。

セルフチェックしてみました。私は、「~する私がいた」「(名前)的には」(自分の場合「小秋さん的には」)は使いません。なんとなく80年代ぐらいのエッセイの香りというか、中途半端な古さを感じさせる表現だと思います。

「なにげに」「ほぼほぼ」は、あえて軽薄なやつだと見せたいときに使います。

良い意味の「やばい」は使用語彙になっていません。1970年生まれなので、「やばい」といえば「顔はやばいよ、ボディをやんな」「やばい、先公だ」などです。

若い人のために訳しますと「顔を殴るのは人目にふれるのでよろしくありません。体にしておきなさい」「まずい状況です。先生が来ました」です。私は品行方正な生徒でしたので、やはり使用語彙ではありません。

問題は「個人的には」ですね。一部で快く思われていない表現だという認識は前からありましたが、便利なのでついつい使ってしまっていました。

しかし、本書の次の一節を読んで「個人的には」は排除せねば、と思いました。

これを聞くと、「この人には自信がないのかな」「あらかじめ逃げをうっているのかな」と思ってしまいます。自分の意見が採用されても、その責任は取りたくない、という風にも聞こえます。私自身は、絶対に使わないでおこうと考えている言葉です。

せっかく時間をかけて書くのに、説得力を落としてしまっては意味がありませんからね。腹をくくるしかないでしょう。

本書から学んだこと

以上は、「朝日新聞記者の200字文章術 ―極小コラム「素粒子」の技法」のほんの一部です。

文章に味わいを出す、引き込まれる文章を書くという点でも多くのヒントが詰まっている本ですが、一読めの今回は、第四章「表現を豊かにする言葉の選び方」に集中することにしました。

現在の目標は、

  • 常套句に注意。なるべく他の言い方を探す
  • 「個人的には」を排除する
  • 語彙を増やす

です。

大きな課題となりそうなのが最後の「語彙を増やす」ですね。この点、魔法のようなものはなさそうなので、地道によい文に触れる機会を作ろうと思います。

タイトルとURLをコピーしました