1971年の日経ヒット商品番付が2015年から見るとカオスなので紹介する
2015年ヒット商品番付が日経MJ紙上で発表されたばかりのこのタイミングで、図書館でたまたま『日経ヒット商品番付1971-2010』を見つけた。「ヒット商品番付」は、1971年に日経流通新聞(MJの前身)で始まった企画。本書には、記念すべき初回から40年分の番付が詰まっているわけである。
本書をパラパラとめくってみたところ、1990年以降は「あったあった(笑)」というかつての流行りもののオンパレード。例えば97年だと「たまごっち」「失楽園」がランクインしてたり。
しかし、70年代、80年代の番付を見ると、現在では当たり前すぎて「ヒット商品」「流行」と言われると「???」となってしまう一般名詞が名を連ねている。私は1970年生まれなのだが、「自分はこんなものが普及する前に生まれたのか…」と衝撃を受けたので、紹介してみたい。
1971年の日経ヒット商品番付は?
ただ拍子抜けなのは、初回なのに、1971年は横綱が東西とも「該当なし」。大型のヒット商品がなかったそうで。メーカーや店側が売りたいものをプッシュするのではなく、「消費者の側に立ち、消費の本当の姿を描く」ことが「ヒット商品番付」の出発点だったそうで、安易に横綱を決めない姿勢は、その志の表れと言えるのではないだろうか。
「大関」は東西二つずつ席が設けられている。東の大関は「ジーンズ」と「カラーテレビ」。「○○のジーンズ」とか「△△社の××カラーテレビ」じゃなくて、「ジーンズ」と「カラーテレビ」。超ビッグワード。
ジーンズは、70年までは作業着や普段着だったのが、71年あたりからファッションアイテムとして格上げされ、銀座や心斎橋を闊歩するジーンズ姿の人が見られるようになったそう。
カラーテレビは、1964年の東京オリンピックの頃にメーカー各社が力を入れ始めた。なので、71年にはさすがに斬新さはなかったようだが、73年頃までは、白黒テレビの方が多かったらしい。この年、カラーテレビがランクインしたのは、70年の1割増し売れたからだと。
ちなみにこの頃のテレビは家具調だ。圧倒的な存在感である。
対する西の大関は、「浄水器」と「該当なし」。浄水器は、70年には約20万台売れたのが、71年には50万台を突破したそうで。これについては、そんなに早く普及してたのかという驚きがある。実家に導入されたのは90年代前後だったと記憶しているんだが、田舎だったからかなあ。
それらの下位、関脇は東が「かつら」で西が「自転車(ミニサイクル)」。かつらは、いわゆるヅラであるが70年の2倍、ミニサイクルは3倍売れたそうだ。ミニサイクルってなんだ?と若い人は思うと思うだろうが、大人用の20~22インチぐらいの小さな自転車が、当時はファッショナブルだったのだよ(普通の大人用は26インチ)。
雰囲気としてはこんな感じ。「いままでなかったお洒落なミニサイクル」とあるが、三周ぐらい回ってまた新鮮なのか?
さて次、小結は西は「電子ジャー」で東が「パンティストッキング」。
電子ジャーは、ご飯を保温するための道具。最近は、業務用でしかお目にかからないが、炊飯器が保温機能を持つようになるまでは、一般家庭にもあったんだよなあ。キッチュな花柄が懐かしい。
パンストは、1963年にアメリカで開発され、日本では、アツギが68年に生産開始。当初はとても高価で、伝線したものを修理する業者がいたほどだったらしい。破れたら捨てる時代が来ると聞いたら、当時の人は驚いただろうな。
これなんか10足で2000円弱ですってよ
その他、ランクインしていて驚かされたものには、「固形のり」「ルームエアコン」「クラッカー」「レトルト食品」「ワイン」「サイダー」「パネルヒーター」「電卓」「風味調味料」「留守番電話」などがある。いずれも71年に急激に普及したそうで、言われてみれば、確かに私の幼少の頃は、どれもまだ物珍しかったような…つくづく自分が昭和の人間だということを実感した次第だ。
あと、「別席」に「紫の寝具」がランクインしていて、なんじゃ?と思いつつ、とっさにリッチー・ブラックモアのパジャマ姿が頭に浮かんだのだが、ディープパープル関係なかった。辛亥の年に紫のふとんを使うと無病息災という言い伝えがあるらしい。次の辛亥は、2031年でまだまだ先なので、寝具メーカーの人は、代々申し送りしとくといいかもです。