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お布施する檀家がいないお寺ってどうなるの?

仏像

お布施する檀家がいないお寺ってどうなるの?等お寺にまつわる疑問を解消してくれる本を読んだ。鵜飼秀徳氏による『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』。過疎化や跡継ぎの不在による地方の寺の消滅問題や、新しい寺の在り方を模索する人々について、「日経ビジネス」の記者が全国の寺や僧侶、檀家を取材したルポルタージュだ。

実家の裏が寺で、法事や葬式といえばそこの住職が自動的に召還され、特に信仰心が篤いわけでもないのに、門扉を改修するといえば、父親の当時の月収ぐらいの金額を寄進するという檀家の生態を見てきた人間として、非常に興味深く読んだ。

Amazonの内容紹介より。

地方のお寺の事態は深刻だ。高齢化や過疎は檀家の減少につながり、寺の経営を直撃する問題となっている。
寺では食べていけないことから、地方の寺では、住職の跡継ぎがいない。
しかし、寺は地域住民の大切なお墓を管理しなければならないため、簡単に廃寺にしたり、寺を移転したりすることはできないのが現実だ。

一方、都会で働くビジネスパーソンにとって、お寺やお墓は遠い存在であり、お寺との付き合いは「面倒」で「お金がかかる」ばかり。
できれば「自分の代からはもう、お寺とは付き合い合いたくない」と、葬儀は無宗教で行い、お墓もいらない、散骨で十分という人も増えている。

本書には、減り続ける檀家からのお布施だけでは生計が立たず、副業を持っている住職や、住職がいなくなった複数の寺を兼務している僧侶、年に1回だけ住職が来る空き寺、津波で本堂が流されてしまった岩手県の寺など、地方の寺院の厳しい実情が描かれている。

また、仏教というのは、時の権力によって翻弄されてきたんだな~ということがよく分かった。

例えば、奈良時代に国教として採用され手厚く保護されたり、江戸幕府の寺請制度で行政の一端を担ったと思えば、大政奉還後の神仏分離令による廃仏毀釈で消滅の危機に追いやられたり。なんでも、鹿児島県では寺や僧侶がゼロになった時期があったらしい。

さらに戦時中は金属や戦闘機の寄付、「従軍坊主」などの形で戦争協力をさせられたり、戦後は農地解放で、収入源であった領地を二束三文で失ったり。

結果、多くの寺では、法要やお墓の管理からの収入に頼ることになったが、それにはある程度の檀家数が必要なわけで、過疎化が進む地域では、「坊主丸儲け」どころかジリ貧というのが現状のようだ。

そういえば、実家の裏の寺の敷地も、昔は付近一帯に及んでおり、現在よりはるかに広大だったという話だったな…現在の規模にまで縮小されたのは、やはり農地解放の影響なのだろうか。

ただ、私が知っている住職は、お経を上げたらとっとと帰るという感じで、檀家の精神的な支柱という印象はなかったので、同情はしない。あと、お遍路さんが必ず通過する○国○箇所のひとつなので、困ってはいないとは思うし。

ところで、私自身と仏教のかかわりについてだが、目の前に墓や仏壇があれば拝みはするかもしれないが、お参りに行ったりはしてしない。身近だった死者のことは、日々よかったことも悪かったこともひっくるめて思い出し、ほんわかしたり頭に来たり申し訳なく感じたりしている。それでいいと思っている。

で、ここで気が付いたのだが、私は仏教を死者の弔いの手段としてしか捉えてないようだ。本来はそれだけの宗教ではないと思うのだが、私の生育環境における仏教がそういう位置づけだったので、仕方がないのだろう。

自分の死後は、「葬式無用 戒名不要」で、遺骨も後のメンテが不要なのが望ましい。が、かたくなに「仏教式は拒否する!」なんていうと、処理する人がかえって面倒くさいかもしれないので、まあその時はその時ってことで。

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